【祖父の死を通じて】やっと祖父と向き合えた、私は看取り士になりました

祖父の手 自分らしく

先日、祖父を亡くし、葬儀の準備やらでバタバタしていたこともあり、泣くことができずにいました。そして、祖父の死の悲しみと同時に祖父はどこに行ってしまったのだろう。と、不思議な気持ちでいる日々も送っていました。

それは、祖父の死から目を逸らしていたのかもしれません。

しかし、先日母と祖父について話しているとき、突然涙が溢れやっと祖父の死に向き合えた気がします。「泣くこと」が全てではありませんが、祖父の「死」を受け入れ、今は祖父に対して感謝でいっぱいな気持ちと少しの後悔がある日を送っています。



祖母には告げず

祖母

祖父と祖母は、それぞれの持病もあり、同居はできずそれぞれに合った施設に入居していました。

祖母は、認知症も進んでおり、孫の私のことを「孫と認識」しておらず、それでもいつも私と会ったはニコニコと笑っている、そして私は「○○(名前)だよ」と言いながら一緒に笑っている時間を過ごしています。

しかし、コロナ禍ということもあり、祖母との直接の面会は施設で禁止。もう、4年近く祖母と会っていません。

認知症ということで、私の母は介護職で認知症の知識もあり、祖母のためにも「祖父の死」を伝えない選択をしました。

私には、認知症という言葉は知っていてもどれだけのものなのかという知識がないため、それ以上のことは言えず、加え祖父の娘である私の母も悲しい気持ちだけど、祖母のことを考えた選択なんだろうと思っています。

しかし、母の選択がどうこうこかではなく、”愛した人の死を知らない”というのも悲しい現実だなと目の当たりにしています。

祖父の死を受け止めておもうこと

祖父の手

私は、今こそやっと「祖父の死」を受け入れることができました。まだまだ、祖父が本当は使っていただろう家具や消耗品さえも、見るときが辛いときがあります。

しかし、私は今を生きている。祖父も大切な人だけど、母や妹、友人、家族、まだ今を生きている大切な人がいます。

祖父とは、魂で繋がっている。どこかで見てくれている。祖母の好きだったマグロを食べながら、そんなことを考えていました。

前向きになったキッカケ

ハートに手のデザインのイラスト

私は祖父の死ばかり考えていたせいか、見るもの見るもの「死別」「霊視」「魂とは」など、納得できず調べて調べて日が暮れたことも何日間かありました。

それはそれは、気分が下がる日々です。しかし、そこでいきついたのが「おくりびと」「わたしは、みとりし」という映画です。

非常に奥深く、私の気持ちを前向きにしてくれたものでした。



行き着いた末看取り士になる決意

手のひらにハート

私は、祖父を亡くしてとても辛かった。朝起きるたびに、空っぽになったようなどうしようもない喪失感。だから、自分を誤魔化して、「祖父はまだいる」と思ってて、だから泣かない、泣けない。

だけど、頭のすごーい奥のほうでは本当はわかっている。と、わかっている自分もいて、あぁこれではだめだなと思い、私は「看取り士」になろうと今資格のため勉強を始めました。

看取り士の資格取得しました

私は祖父の死を通じて「死」が最後のお別れではないことを知りました。確かに「死」は、もう会えないことを意味をしますが、心の中ではずっと祖父は生き続けています。

何かあったとき、祖父のことを思い出し頑張ろうとも思えるようになりました。看取り士の資格をとって、色んなことを考えるきっかけにもなり、しっかりと向き合えるものとなりました。

が、しかし、かと言って慣れは決してありません。悲しいと自分の気持ちより相手の全うとした人生を考えることを第一優先にしてこれからも頑張っていきます。

 

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