【祖父が亡くなって思う事】後悔のないように縁を大切にしよう

祖父と孫イラスト 健康

先日、祖父が亡くなりました。

祖父が亡くなったとき、私は受け入れることが出来ない気持ちと同時に沢山のことを感じました。「もっと話しておけばよかった」「もっと会いに行っておけばよかった」なんで、なんでと後悔した時にはもう…。

しかし、私は祖父が亡くなった日、不思議な体験をしました。今思うと、祖父からのメッセージかもしれないと思います。



突然の電話

スマホを持つ女性

朝8時15分頃、母と妹からの電話。普段の私は、朝はとてもバタバタしていることもあり普段は電話を見ず、落ち着いてから折り返すことが日常でした。

しかし、その日は朝はいつも通りバタバタしているけど、”落ち着いたら”ではなく”すぐに”落ち返しの電話をしていました。しかし、母も妹も電話は繋がらず、主人が誰かと電話している様子。

主人が電話しながら「じぃちゃん亡くなったって」突然の祖父の死。

祖父は、老後施設から今月2月15日、体調が悪化して病院と併設しているホームへ転居が決まったところです。祖父は、がんと糖尿病を患っており、それでも手術したり通院しているとは言えども、克服して元気に過ごしていました。

私は、「いつでも会える」「すぐに会える」そう思っていた矢先です。

私は、あまりの衝撃に言葉も出なくて、「そっか、わかった」がやっと出た言葉。電話を終え、最後におじぃちゃんに会いに行くべく急いで用意するも、涙が溢れ、手が震え、何をしていいのかわからない状態でした。

それでも最後にじぃちゃんに会いたい気持ちで、最後にじぃちゃんがいる病院へ妹と向かいました。

祖父は、老後施設に入居していましたが昨年のお正月、何度かの食事の買い出し、病院や施設への送りなどして最後に会えたのが昨年11月7日。祖父とちゃんと会話したのは昨年9月2日。

昨年9月2日、施設へ送る最中、天気がいいこともあり、祖父と二人でドライブをしました。久々の祖父との会話を楽しむことができた今ではよかったと感じています。



祖父が私に伝えてきた?

祖父と孫イラスト

祖父が亡くなったと連絡を受ける前夜。今月2月19日、私は寝ようと午前0時頃ベットに入りました。

しかし、その日は何だか寝つきが悪くやっと午前1時頃寝付けました。しかし、何度も何度も起きてスマホを見て寝てを繰り返してました。

午前2時すぎ、午前4時すぎと何度も目を覚まして朝を迎えました。朝4時すぎに寝てまた、午前5時半すぎに起きてと何度も起きてしまったので、もう寝れないと思い午前6時に目を覚まし、パソコンの仕事にとりかかっていました。

普段は、途中トイレへ起きたとしても朝まですぐに寝付くことができるのに、なぜかその日だけは、「眠たいのに寝れない」そんな日でした。

火葬中、左の肩をツンツンとされた

祖父の手

葬儀は、親戚や親しい方だけと家族葬で小さく行われました。葬儀も無事に終わり、火葬場の待ち時間に昼食をとり、控室で親戚と祖父のことや今後のこと、世間話などをしていました。

その時、私も左肩をツンツンとされて私は「なに?」という気持ちで後ろを振り返り、誰もいない。そして、私の左横には私の母が座っており母に「呼んだ?」と聞くも「何が?」との返答。

私は、母に左肩をツンツンされたと思ったと伝えたところ「後ろにじぃちゃんのお骨入れと霊位があるからね」と。

私の母いわゆる、祖父の娘にあたります。

母は、家との距離が近いのと介護職ということもあり、祖父の面倒を誰よりも見ていました。祖父の介護施設も、母が勤めている介護の会社グループ、その他転居先や生活のこと、じぃちゃんの身の回りのことほとんどが母が行っていました。



私は、じぃちゃんが母の事を頼んだよ。ありがとうと伝えておいてと言っているように感じました。

祖父は、言葉数は少ないけど私に最近やたらと「どーもね」「お疲れさん」と言ってくれます。私の左肩をツンツンしていたのは、恐らく、母にも「ありがとう」と伝えていたのかもしれません。

しかし、母もまだまだ祖父のことでやることでバタバタして上心身共に辛い状況で、祖父のメッセージに気づけなかったんだと思います。

私は、昔から何かが見えるというわけでも何かが聞こえるというわけでもないですが、何かを感じるということがあります。

そして、祖父が一番一緒に居た母の長女が私でもあり、祖父が頼んだよと伝えてくれたんだと思っています。

車のパンク

車のパンク

2月15日、私の主人が通勤で使っている車の左前のタイヤがパンクしました。

パンクは、事故どかではなく雪道の穴でガタンとなり、何かが刺さったとこではなくタイヤの中の構造が修理不可能な状態だった模様です。

幸いにも、主人が乗っている車の前の車の方がパンクを知らせてくれたようで、大事に至りませんでした。主人は仕事終わり、すぐにタイヤを交換しにいきましたが、「もしパンクと気づかなかったら…」と主人は言っていました。

主人は、その日普段より早い仕事の出勤で寝不足でした。もしかしたら、祖父が「危ないよ、しっかりとしなさい」と伝えてくれたのかなと。

祖父がよく言っていた言葉

祖父が座っている

私はここ10年くらいはまともに孫と祖父との会話をしていません。というのも、祖父は無口な方で必要最小限のことしか話をしない方でした。

しかし、昔じぃちゃんは私によく言っていたことがあります。「まま(母)のこと頼んだよ。姉妹は仲良くするんだよ。ままのいうこと聞いてね」でした。私は、反抗期もありその時は受け流していましたが、今はよくわかります。

私の母は、20年前くらいに離婚しており、母一人で私と私の妹と2人を一人で育ててきました。

母が一人でがんばってきていることを、母の父親として心配している気持ち。家族で仲良くして欲しい気持ちを祖父ながらの言葉で「姉妹仲良くするんだよ」という気持ちなんだと感じています。

絆をもっと大切にしよう決めた

ハートに手のデザインのイラスト

祖父が亡くなって、今思うこと。

母の強さ、姉妹がいる有難さ、パートナーの支え、全て感謝しつつもっと大切にしようと改めて感じました。そして、「会えるときに、会っておこう」とも強く感じました。

祖父には、4人の子供(私にとっては伯父が2人、伯母が1人、母)がいました。母は一番末っ子なのですが、上3人はほとんど祖父とあまり仲が良かったとは言えません。

しかし、ここ数年で仲も少しずつ修復され、昨年には祖父の生まれ故郷へ、祖父と私の母、一番上の伯父さんと伯父さんの奥さんと旅行行ってきました。

そして、今回祖父の葬儀を機に、兄妹それぞれ感じていた想いを互いに伝えることができたそうです。

これからは、今まで祖父のことでバタバタしていた母を支えていこうと思っています。母は仕事の休みには祖父のことでバタバタしていたので、それがこれからはなくなり母はぽっかりと穴があいたような気持ちかと思います。



今はまだ祖父のことを想うと「まだ会えるのではないか」「もう会えない」気持ちが混ざり、現実を受け入れることができない気持ちと同時に涙も流れますが、祖父が伝えてくれたメッセージを受け取り、前を進んでいきます。

まだ悲しい気持ちですが、祖父が亡くなったことで、これからはもっと家族を大切にしようと私は強く心に決めました。会えるうちに会っておこうと。

身近な方との突然の別れのとき、もしかしたら今までと違うことが起きたり、感じたりすることもあるかもしれません。

その時は、故人を想い寄り添うことで伝えたかったメッセージを受け取っていきましょう。なかなか会えない状況もありますが、後悔しないためにも「会えるうちに会っておく」ことを考えてみてくださいね。

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